ちょうど1年前の北京グランプリ大会
こんにちは‼️
プロパラアスリート若生裕太です。
今回は、ちょうど1年前の2019年5月11日に行われた
北京グランプリ大会のお話をしていきたいと思います。
クラス分け
パラスポーツは
障害の種類(視覚、切断、機能など)、
障害の重さ(視覚障害の場合 全盲、弱視)
によってクラスが分けられます。
パラ陸上競技において
私が属する視覚障害のクラスは3つに分かれます。
(障害が重いほうから11、12、13と分類)
国内の大会に出るだけなら、国内でクラス分けを受ければいいのですが
国際大会に出るためには国際認定されている場所でクラス分けを受ける必要があります。
つまり、どんなにいい記録を持っていたとしても
国際クラス分けを受けていないと国際大会に出られないし、パラリンピックにも出場できないのです。
私は、国際クラスを取得するために北京グランプリ大会に出場することになりました。
クラス分けを無事に終え、視覚障害12クラス(真ん中)になりました😌
目標 日本人トップ・日本記録樹立
2018年シーズンは1勝もできていませんでしたが、
2019年初戦で日本記録を出すという強い意志を持って練習を積んできました。
2019年の初戦は国際大会になりましたが、視覚障害になる前に野球で国際大会を経験していたおかげで特に緊張することなく、ワクワクした状態で試合に臨むことができました。
ルールは全く同じ
私が行っている視覚障害クラスのやり投げは健常者の大会と全く同じルールで行われます。
(座位のクラスなどは異なります)
6投の中で一番良い記録で勝敗がつく
(予選3投、決勝3投)
1投目の失敗で手応え
私は、試合が始まり1投目でいきなり助走の歩数を間違えかなり手前から投げてしまいました。
「助走ミスった~、いきなり失敗スタートかよ」
こんな心境でしたが、意外にも記録が自己ベストとそんなに変わらない記録だったのです。
この不幸中の幸いとも言える状況が、逆に自信につながりました。
途中で自己ベストは出せたものの
日本記録までは届かない状況で
いよいよ最後の6投目を迎えました。
日本記録を出せそうな手ごたえを感じていながらずっと出せず、迎えた最後の6投目
北京に感謝 日本記録
私は、この状況を
「北京で大会ができていること自体がほんとに幸せなこと、感謝しよう」
そう思いました。
投げる前に、「北京に感謝」と言葉にして、
最後の投げを楽しみ、思いっきり投げました。
やりがどのように飛んで、どこら辺に落ちたかが見えなかったものの、投げた瞬間にかなりの手ごたえがありました。
記録は
視覚障害F12クラス日本新記録
喜びを爆発させ、思いっきり叫びたいくらいに嬉しかったのを覚えています😄
「パラリンピックに出場する」と周りに言い続けていましたが、やっとスタートラインに立てたような気がしました。
日本新記録で銀メダル
「支えあい」
北京グランプリ大会では、約1週間ほどパラ陸上選手たちと一緒に滞在します。
一緒に滞在する中で多くの気づきや学びがありました。
その中で最も印象に残った出来事を書こうと思います。
それは「支えあい」です。
- 低身長の選手が車いすを押している
- 義足の選手が視覚障害の選手のバイキングをサポートしている
- 視覚障害の選手が機能障害の選手の道具を持ってあげる
障害を持っているもの同士ではありますが、お互いができることとできないことを補いあい、支えあっている状況が北京にいる間は日常的に行われていました。
お互いが何かしらのハンデを背負ってパラスポーツをやっている
辛い経験や痛みがわかるからこそ補い合い、支え合うことが自然とできているんだなと思いました。
私は健常者とか障害者とか関係なく、1人の人間として困っている人がいたら手を差し伸べる、そういった思いやりを持った人になりたいなと思いました。
パラ陸上のメンバー
北京グランプリは日本記録という結果で終えることができ最高の思い出ができました。
そしてたくさんの気づきや学びを与えてくれる
とても貴重な経験をすることができました。
まだ、スタートラインに立っただけ
夢であり、目標である「東京パラリンピック出場」を叶えるため
一日一日を大切にしていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました😁